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京都・東京
漆造形の現在を検証する   GLASS AND ART No.16より抜粋

漆の現在性・京都'96展―オープニングシンポジウムより
'96年8月23日モ9月7日 ギャラリーNIKI

出品作家:栗本夏樹、佐々木百合、田川真千子、土岐謙次、安井友幸
ゲスト作家:荻野令子、田中伸行、豊田正秋、平松伸男、藤田敏彰、吉田美幸
司会:渡部誠一(水戸芸術館現代美術センター主任学芸員)

京都芸術大学大学院出身の五人の漆造形作家による、東京では初めてのグループ展に伴い、東京芸術大学出身の漆造形作家たちをゲストに、シンポジウムが開かれた。東西の作品を比較検証しながら、漆造形の現在性を探っていく。

京都の出品作家、東京のゲスト作家が自己紹介をかねて作品のスライドを上映解説をした後、シンポジウムに移った。東京の作家たちの作品がコンセブチュアルで抽象的なものが多かったことから話は端を発した。

土岐…東京の作品からは具体的なモチーフが見えてこないというか…。自分の中をみつめる内面 性を感じる。京都とは加飾の点でも違いがある。カリキユラム的には東京芸大も京都芸大も変わらないと思うけれど、生活をしている地盤の風土性というか、東京のほうが道を探している感じがするんです。
栗本…僕もそれは感じた。東京の方たちの作品は自分の内面に向かって作っていて、京都のほうはモチーフを基にして自分の世界を外に向けて発展させて広がりを求めているのではないかと思う。
司会…東西の比較という点で、おもしろい話に入ってきました。この辺のところをもっと掘り下げていきましょう。
土岐…僕が作る時は作り方と完成予想図があります。角のある作品を作っている時は、角が析れたり傷んだり、そういうキズがついたりすると、塗りなおさな、というふうに考える。ところがそういう考え方ではなくて、東京の方たちは、進化していく、発展していくという作り方をする。作品自体は前から知っていたけれど、そういう作り方をしているということは頭になかったので、大変ショックを受けました。
平松…自分自身を内省的に見つめるのと、外へ広がりを求めるのと、どちらかというお話が出たが、私の中ではどちらもこの二つは対立する位 置にはない。自分を見つめることをしなかったら、きっとものなど作らないと思うし、広がりを求めなかったら、きっと展覧会なんかしないと思う。どちらを大切にしているのかということはあるかもしれないが、私の個人の意見としては、だれもが両方をもっているのではないか。
司会…確かにいろいろな要素はあると思います。ところでさきほどの発言を、東京の藤田さんに受けていただくかたちで、伝統を大切にしながら、伝統技法と距離を置くという藤田さんのアプローチの仕方をもうちょっと話していただきたい。
藤田…漆科のカリキユラム的には、きれいで上手な下地を施し、キズがないように磨ぎ、あるいは細い線を蒔絵で描く、フラットに光らせるなどの技法を、基本的なこととして習得する。教育のシステムの中では、これを行ってからでないと先へ進めない。今教わっていることは東京も京都もそれほど差異はないでしょう。ただ、僕が気になるのは、ある時代においての伝統的な技法を輪切りにしたものを僕らは学んでいるのであって、基本的な伝統技法であるならば、縄文時代の漆はなぜ作らないのか、ということですo現在の教育システムは明治以降、大名主義がなくなった後、工芸作家が出てきてからのカリキユラム設定だと思うんです。それ以後、東京芸大のほうではそれほど変わっていないわけですよね。それに対して少の反発を僕は持っているわけです。一般 の人たちのセミナーでは、直接漆をいじらせてあげたりするんですけれど、学校では今のカリキユラムを無視して、いきなり漆の樹液と学生が対峙してものを作っていくという方法をとらせるわけにはいかないのです。ぼく自身はあまり伝統的な技法を作品の中で表現していないほうなので、できないんじやないかと思われると悔しいんで(笑)、個人的には技法的なことは好きですし、ある程度はマスターするように心掛けていますけど。
司会…皆さんも承知しておいてください(笑)。今の問題に問連して、今回の展覧会のDMのキャッチで「伝統と因習の壁をヒラリと超えた…」と書いてあるのですが、その辺のと一ころは京都の方がた、いかがでしょう。
栗本…これは自分達にとっては大きな問題です。伝統とは何だ、漆の可能性とは何だ、こういうことは私たちだけでなく、多くのもの作り、特に工芸素材を使っている、既に伝統がある素材のもの作りたちは必ず背負っていく問題です。だからそれを飛び越えたものとして捕らえることはできま一せん。ただし、京都という場にいて思うことは、よい伝統、本当の歴史に淘汰された実物が環境として身の周りにあるということです。それは、博物館の中にあるとか美術品としてあるとかいうんじやなくて、包み込まれるようにある、そのことが大変私たちにとって幸福だなと思います。そして、心の中にある尺度として自分の作品とそれらのものをいつもオーバーラップしながら向かい合っているような気がしています。だから、先程藤田さんがおっしやったことに関連するんですけれど、モチーフがあるとかないとかということ、東京の方が持っている概念的なことも含めて、東京には危機感によって何かものを作るひとつの衝動が与えられているように、私もまた別 の衝動を、とても豊かな美しい空間の交わりがあって、空気や水のようにある環境が作品に影響を与えているなあと思うんです。そして、そういうものに答えたい、参加したい、挑戦したいという意識が自然と芽生えているような気がします。そういった所で僕たちの仕事は、大きな出発点を得ているのではないかという気がします。
土岐…人間の生活が連続する時間を伴って堆積していく、積み重なって厚みを増していく、そういう構造のイメージがぼくにはあるので、伝統や慣習の積み重なった高さが今現在、どんな高さがあって、飛ぴ越えられるものなのか、伝統があまりにも大きいものですから、自分の位 置がなかなか実感できません。たかだか二十数年生きてきたくらいでは分からない、先人の知恵の結晶であるところの技法を学んだうえで自分はもの作りをしています。さかのぼれば縄文ぐらいから積み重なった伝統が自分がやっている中に息づいていると思う。自分のやっている仕事がどんな新しい伝統に積み重なっていくかは、これからの僕のやって行き方次第だと思います。
佐々木…大学にいる問は、漆って何、工芸って何と疑問符ばかりでしたが、最近はそんなことよりも、まず最初に自分が存在しているんだから、自分がやりたいことをやればいいやと思うようになりました。それがどうして漆のもの作りなのかを人に納得させるためには、自分でもっとつき詰めなければと思います。まだやっと、何か行動をおこすのが基本だと気づいた段階、問題はこれからです。
田川…伝統と慣習というものがある意味で壁になることもあるし、それが暮らしの中では安らぎにつながっていることもある。例えば久しぶりに友だちとゆっくり話がしたいなと思ったら、喫茶店を探すより、缶 ジュースを買ってお寺や神社へ行きます。家の中には漆器があったり、女の子はお離さまをきちんと飾って早くしまわないとお嫁に行くのが遅れてしまうとか、そういう約束事を楽しみながら、安らぎや明るさの対象だったりして、私はありがたいなと思っています。これから先に辛いことがあったら、ここへ戻って考えてみようとか。可能性も感じる伝統と債習なんです。こうしなければと堅く考えてはいません。
安井…あまり伝統とか考えたことがありません。僕は、自分にしかできない作品を作って行きたい。僕は僕の役割を作り続けていきたいなあと、そういうふうです。
司会…京都という風土性もあって、それなりに親しんでいらっしやるということですね。さて、私は東西の違いばかりでなく、いくつかの共通 性も見えるのではないかと思います。一つは縄文前期から始まり工芸素材として最も永い歴史を持つ中で、器であったり蒔絵であったり武具であったり祭礼具であったり、そういう歴史的な形態の再解釈である作品がしばしぱ見られるということ。もう一つは、漆が生物素材、有機素材であることです。それによるのかどうか、ほとんどの表現が生命形態、バイオモルフと言いますが、そういう彬態を志向する方がすごく多い。あるいは生成形態、それは宇宙の生成と考えてもいいわけです。現代美術といわれる分野では、八○、九○年代の今日までバイオモルフィック的な表現がありますそれとパラレルであるのかどうか。漆の世界ではそれが自然な形で造形として実現していると感じた。最後は漆というものが持っている素林の強さというかとりわけ深さですが、そこから精神性の問題を感じていらっしやる方も多いようです。この三点を共通 性として感じました。(抜粋・文責編集部)


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